
本日、10月31日は衆議院議員総選挙の投票日である。私たち夫婦は昨日、期日前投票を済ませてきた。
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ところで明日の11月1日といえば、21年前の2000年の11月1日に白ヒゲおやじ著の「母ちゃんゴメン!」ー白ヒゲ親父の痛快人生ーが出版された記念すべき日である。
そしてつい最近、知ったことだが、くしくも、あの「れいわ新選組」の山本太郎代表も22年前の1998年の11月1日に「母ちゃんごめん」ー普通に生きられなくてーという同じタイトルの本を出版していた。
一昔前の話ではあるが、 たとえ本の中身は違えども、昭和の最後と平成の最初に、しかも同じタイトルで同じ11月1日に出版されたていたとは、奇遇といえば奇遇、何かの因縁(?)を感じないではいられない。
★ともにアマゾンでいまだに販売している。興味のある方は如何かな。

風呂給湯器とガスボンベを設置している頭上の屋根下に、直径40センチくらいのスズメバチの巣を発見した。
しかしこれがオイラ自身が手術入院寸前のことであり、自身の手足が思い通りにならない最悪の状況下にあったため、オイラの意志を受け継ぎそれを行動実行に移せそうな助っ人二人を選んでハチの巣撤去の大作戦を計画した。
そして夜明け前の5時、まだ8月31日だというのに真冬の防寒着を二重三重にまとわせた助っ人を脚立に登らせ、ハチの巣めがけて、いやというほど撃退スプレーを吹きまくり、サバゲー用に使う弾除けネットの切れ端でハチの巣を一気に包み込み、続けて垂木にへばり付いている個所を鎌で切り落とし、間髪入れずにドラム缶の中に突っ込み蓋をする作戦である。
終わってみればどうってことなかったが、助っ人たちは冷や汗をかいていた。
反対に高見のオイラには充分満足のいく結果であった。
最近、TVでよくやっているスズメバチの巣駆除業者の大げさなやり方とは違う白ヒゲ独自のスズメバチ駆除大作戦であり、希望者にはそのノーハウをいつでも伝授します。

先週、市内の病院から3週間ぶりに無事、退院してまいりました。
70歳になってから手足に異常を感じ始め、複数の病院でさんざん検査した結果、「頚椎後縦靭帯骨化症」という難病の一つで、このままでは将来、歩けなくなる可能性があるということで、一大決心の末、5時間にわたる手術して無事に帰ってまいりました。
子供の頃から病気という病気をしたことがない、タフさが売りだった白ヒゲおやじも開業以来、酷使し続けてきたツケが回ってきたに違いないと覚悟して手術に臨んだのである。
現在、首の後ろ側に縦15�僂曚匹亮蟒兀�と両手足に少ししびれや麻痺が残っているが、あとは主治医と女房のいうことをきき、我が家でリハビリに励んでいる。来春くらいには復活した白ヒゲおやじをお見せしたいものである。

愛娘が飼っていたうさぎがネコに襲われ10羽から1羽に減って悲しんでいたのはこの春のこと。
シロ1羽では可哀そうとブラックのホーランドドック1羽を飼い足してやった。
数日間、相性をみていっしょにしてみたらすっごく仲良くなった。
猛暑に続く長雨続き、それに多忙を極めて絶疲労の最中、まったくウサギのことなんか頭になかった先日のこと。「赤ちゃんが産まれている!」とママと娘が大喜び。
グレーのこうさぎが3〜4匹産まれているらしい。
娘は今、残りの宿題と、こうさぎの名前に没頭している。
わがやのささやかな「癒し」かな。

きょう、昭和23年設立の枌所小学校柏原分校が73年の歴史を閉じた。73年といえば私より一つ年下だ。
マウンテンドーム建設前、全国を回っていた私が「国内屈指の、自然の中の学び舎」と称していた建物である。
あれは1988年の正月だった。
この分校が廃校になると知り、町役場に「売ってくれ」と飛び込んだ。
役場は大歓迎してくれたが、田舎ならではの複雑怪奇な諸問題が続出し、将来、譲渡可能になった折には当方に譲る、という条件つきで、現在の土地でマウンテンドームを開業したのである。
その後の町村合併の時に譲渡話が再炎するも、施設全体の老朽化がひどく、譲渡話を断わざる他なかった。そして今回の解体となったのである。町も早く私に譲ってくれていたなら・・・。
まあそれはそれとして、これでまた本県��1名物といっても過言ではない「森の学校」が一つ消えた。
[昔話]:
マウンテンドーム建設同時のこと、「こらー、待てー!」と叫びながら青年男子教員と六年生と三年生の兄弟生徒がネコを追っかけていた。そのネコに弁当を取られて追っかけ回していたいたらしい。
・・・ほんと長閑な時代であった。