
白ヒゲ好みのお得意さんに「京都のR大学ハンドボール部の総監督」がいる。
ハンドボールといえばスポーツ全盛の現代にありながら、国内ではもう一つ盛り上がりに欠ける球技の一つであるが、彼は燃えに燃える「ハンドボーイ」なのである。
そこできょうは、この若き「ハンドボーイ監督」から聞き出した「むなしき監督業」をご紹介しよう。
足首に古傷を持っていたある女子選手が、また同じ足首を捻って試合に出られなくなった。相手が女の子ともなれば監督という立場上、放っておくこともできず、メンタル面のリハビリからテーピングにいたるまで精魂込めて面倒を診てやっていた。
その後の春のリーグ戦も終盤を迎え、その日の試合でも彼女はずうっとベンチだった。そしてそのゲームに健闘むなしく負けてしまったチームメート全員が落ち込んでいる最中にふと気が付くと、何と、他校のゲームを観客席で彼氏と2人でいちゃついて観戦してる彼女がいた。
『なんやねん!!!』。可愛い教え子のために尽くしてきたオレの立場は!?
オレも男や。坊主憎けりゃ袈裟まで・・・やぁ! 監督業ってトホホです。。。。。
―みなさ〜ん、このハンドボーイはかなりのイケメン監督なんでが、三枚目意識しか持ち合わせていない二枚目というところが好きなんです。白ヒゲは。

宿泊業には宿帳というものがつきものだから、いろんな名前に出遭うおもろい職業のひとつである。
□ 7月産まれの「ジュライ」からとった「樹羅」と書いて「ジュラ」という女児がいた。しかし歳をとったら「ジュラばあさん」・・・うーん。
□ 某カメラマンの娘、「真心」と書いて「ココロ」ちゃん。すんなり読めるひとがいるのだろうか。
■ 長島茂雄フアンの親父がジャイアンツからとった「ジャイコ」という中学教諭もいる。器量がいいからいいようなものの、これもそのうち「ジャイコばあさん」か。
■ 中日フアンのパパと、阪神フアンのママがつけた双子の名前は「竜」と「虎」。夫婦喧嘩のときは大変やろなぁ。
☆ 双子の姉妹に「セリカ」と「カリナ」と名付けたトヨタ勤務のパパもいる。見上げた愛社精神とかで表彰されたとか。
☆ オレがキューピット役をつとめた床屋の娘は、おやじのアメ車「カマロ」からとってつけた「マロカ」。これもそのうち「マロカばあちゃん」か。
☆ うちの町内にいる双子は「大也」と「門人」。二人合わせて「ダイヤモンド」。冗談とチャウよ。新聞に載ったんやから。
★ 知り合いの手袋製造会社々長の三人兄弟は、「太郎」・「二郎」・「三郎」。うちの看板犬は「ゴロー」・「ジロー」。
★ 知り合いのうどん屋さんの三人息子は、「タイガ」・「レオ」・「ヒョウマ」。どんな漢字だったかも忘れてしまった。
◇ オレが仲人した美男カップルのダンナは、長男で「ハジメ」君。「一」と書くが、夫婦連名の時は「ハイフォン」に間違われてよくないそうだ。今は離婚してしまった。
◆ 淡路の植木屋さんチの若旦那は「リョウジ」、長男は「リョウマ」、次男は「ジュンマ」。
◆ 高松の植木屋さんチは、「エミ」・「ミサ」・「サオリ」・「リカ」の4人姉妹。「リカ」のところで「リボン」と止めとけば5人目は男の子だったろうに。・・・しかしどこの植木屋さんも尻取りが好きらしい。
◎ 極めつきは、産院に駆けつけたら、「立派な女の子ですよ」と聞かされ、男の子のことしか頭になかったパパがショックを受け、「そんなことありかー!」と叫んだ。そこからついた日本一のええ名前「ありか」ちゃんはオレの娘だ。
その娘が初孫につけた古風な「幸之介」はオレのお気に入りだ。しかし二人目につけた「るう」ちゃんは確かに可愛いけれど、これもそのうち「るうばあちゃん」か。絶対、娘に叱られるう。ごめん!
それはそれとして、オレは長男なのに「純次」。「なんで次なん?」と親父に問うたことがある。「届け出た時に間違えた」・・・単なるミスだったらしい。
―写真は「るう」と「幸之介」―

若気のいたりとして麻雀ブログを書いたら、とんでもなく懐かしい人からの書き込みがあった。
なんとオレが大学受験に失敗して東京で浪人生活に入った18歳のときだから40年以上も前の、同じ下宿の同じ釜の飯を食った仲間で、早稲田の理工学部に進んだ秀才の先輩である。そんな人物が、四国から遠く離れた青森から書き込みしてくれたのだから大感激も興奮もした。ブログをやっててほんとによかった。報われたぁ。
その先輩も、現在、青森の田舎でこだわりの手作り豆腐を製造販売している「とうふ村」の村長をやっているらしい。ちなみにマウンテンドームの村長も年間に400日くらい湯豆腐を食べているから以心伝心とはまさにこのことである。
★マウンテンドームフアミリーへ、ぜひ「とうふ村」
http://www6.ocn.ne.jp/~tofumura/
を覗いてみてください。
みなさーん、ブログってほんとうに素晴らしいですねぇー。
―写真は最高に綺麗だった昨夜の名月と金・木星。先輩も青森で見てたかなぁ―

浪人した上に留年ともなると、普通コース卒より2年遅れの24歳目前。その上、就職と同時に娘誕生。パパとなった実感も責任感も薄く、相も変わらぬ麻雀と競馬に明け暮れる日々が続いていた。
あれは忘れもしない1973年の春のことだった。土曜日に支給された給料を懐に、妻子の待つアパートには帰らず、勤めは異なるが大学時代からの相棒と二人で自宅近くの雀荘に行き、知らない相手と朝まで打ち合い、そしてまたボロ勝ちした。その時の全勝ち分を競馬のノミ屋も兼ねていた雀荘のオバチャンに呑んでもらい、ツキに乗じて翌日のダービーに給料ごとブチ込む覚悟でオレと相棒は一睡もせずに府中の競馬場に走った。
そして今度は馬を相手に第�レースから順に勝負に出た。ところがダービー本番を目前にして気がついたら二人ともほとんど持ち金が残っていないではないか。顔色の変わったオレたち二人は小銭も集めてダービーに最後の勝負を賭けた。当然、オレはハイセイコー流しの三点買いである。
ところが手に汗握る思いも「こりゃー、ダメだわ」の相棒の溜息とともに目の前が真っ暗になってしまった。確か連勝複式の1―8で本命のハイセイコーが外れてしまい、なんと9,560円ものほぼ万馬券となったのだ。オレは�―�、�―�中心に全財産を注ぎ込んでいたから給料を待つ女房のことを考えると帰るに帰れない。「オレも帰れないよ」と嘆く相棒は、妊娠中の姉から頼まれた�着馬タケホープの単勝馬券を特券一枚分呑んでいたのだ。しかも5,110円もの高配当がついているのだから、こいつも帰るに帰れない。大変なことになってしまった。
「もう、やめよ。やめた、やめた。しょせんオレたちには博才なんてないんや」。
肩を落し、言葉も失せて、帰途に着こうとした時、突然、「おまえさあ!」と相棒がオレの胸を強く叩いた。ドッキーン! そうや、ノミ屋だ!
神様仏様の一心で雀荘に電話を入れた。すると「おめでとう。あんた一人だけ大当たりよ!」。雀荘のオバチャンの声が仏様のように聞こえた。幸運にもオレは徹夜麻雀の勝ち分総てを万馬券狙いで呑んでもらっていたのである。早速、給料袋に9,5600円を入れ直し、何事もなかったかのように女房の待つ家に駆け戻った。当時、オレの月給が手取りで10万円くらいの頃である。
そのあとすぐにチドリジョーという面白い馬と出遭てしまった。いつもスタートからダントツで突っ走る元気な牝馬だが、最後の直線にさしかかると、スピードダウンして後続馬を待つ変な癖があった。そして追いつかれると今度はその馬に体当たりするから当然、進路妨害で審議または失格となる、まことにおもろい牝馬だ。しかしオレの好きなタイプである。
あの時もテレビの競馬中継を見ながら、相棒と麻雀をやっていた。いつも通り彼女はスタートからぶっちぎりの先頭を行く。きょうは間違いない! と確信してパイを摘んでいたら突然、「先頭のチドリジョーが消えたぁ!」とテレビのアナウンサーが騒ぎ出したではないか。そんなバカな。オレもまわりも、麻雀なんかそっちのけでテレビに釘づけとなった。「信じられませーん! ぶっちぎりで先頭を行っていたチドリジョーが第3コーナーを曲がらずに厩舎まで一直線に駆け抜けて行きましたー!」。何度も繰り返されるアナウンサーの絶叫が虚しく聞こえていた。その後、チドリジーは出場取消し馬となり、このジャジャ馬の裏切りが、今度こそ、オレにあらゆるギャンブルから足を洗わせることになったのである。
それももう35年も前のことで、サラブレッドを卒業した今はグレートデーンにはまっている。
世の中には一度痛い目をして悟るやつもいれば、とことん行くやつもいる。あんたはどっち?

このところ毎日のように競馬やパチンコ必勝法なるものがメールで送られてくる。そんなもので安易に勝てると思ったら大間違いだ。
昔、昔、大昔、大学近くの雀荘で、「学生さん、ちょっと」と、ある長身の男の人に誘われ、雀卓を囲んだことがあった。その男性とは、オレの子ども時代に一世を風靡していた東宝映画の看板男優、宝田明氏である。
その麻雀の最中にテレビのニュース速報で流れたのが、あの「三億円強奪事件」だった。オレは日本の犯罪史上に残る記念すべき日に芸能人と麻雀をやっていたのである。
その後ミュージシャンになってから、グループのメンバー沢村和子(現在のジャズシンガー沢村マミ)ちゃんの姉、沢村美司子(今は亡きジャズシンガー)さんに誘われて、弘田三枝子、清川虹子さんらと麻雀をやったこともある。相手が芸能人、それも女性ばかり・・・と、なめてかかり、最初から役満オンリー狙いのおふざけ麻雀に徹していたら、あっというまに「国士無双」完成。以後、お声がかからなくなった。
ミュージシャンをやめてから、遅ればせながらの大学卒業を目指していた頃、雀荘での徹夜麻雀の最中に警察に踏み込まれ、誰か知らない人と二人で、やぐらこたつの蒲団の中に隠れたことがあった。後でわかったことだが、誰かとは某893の若親分(早稲田大出身の三十歳くらいのカッコいい人)で、その夜の偶然の出逢いから仲良くなり、彼の子分がオレのアパートまで誘いに来るほどの付き合い麻雀が始まった。ところが相手は高倉健や菅原文太みたいなその世界の大スターたち。オレは大学5年の貧乏学生。よってオレが勝てば即金で支払ってくれるが負けた場合はとられない、というこのうえない恵まれたルール。
ある時、オレはその若親分相手に数十万勝っていた。当時は大卒の初任給が4〜5万のときである。だからとんでもない大勝ちをしていたのだ。よって数日間は家には帰っていない。油切った顔に鼻の下は真っ黄色で両手の指は痩せ細っている。アパートでオレの帰りを待つ女房(既に学生結婚していた)のことなど全く頭になかった。親分たちは傍に派手な女たちをはべらかせ、寿司にタバコにおしぼり付きのサービスをやらせていた。オレは得意のラーメンライス。親分の形勢が悪くなると、その着物姿の女たちが立て膝して太ももの奥をオレにチラリと見せるからたまらない。大三元や国士無双の聴牌時と同じような大きな鼓動に耐えながらも、オレは脇目も振らずに学費と生活費を稼ごうと夢中になっていた。
―と突然、オレの正面にあるドアが音もなく開いた。そこには涙を溜めた愛妻が立っていた。その瞬間から集中力を欠いたオレは数時間でそれまでの勝ち分を一気に吐き出し、すっ殻カンで女房のもとに舞い戻った。このときのオレは、本気で麻雀からきっぱりと足を洗おうと決心した・・・はずだった。 ―続く―
〔写真は今年の初霜で真っ白になった夢パパ�〕