
昨日からの冷え込みは本番到来だ。裏山の標高800メートルから上が初冠雪となっている。
■20年近く前の同じように冷え込みのきつい夜に、親友の勝君が「見たことないくらい大きなネタの寿司を食いに行こう」と誘ってくれたことがあった。オレは東京にいたから、にぎり寿司といえば江戸前の高級寿司が当たり前だった。
ところが、連れて行ってくれたところは、当時、まだ目新しかった頃の回転寿司屋だった。
カウンター前に陣取るやいなや、「目標80コ!」と勝君がオレの肩を叩いた。
積んで行く皿が高くなる。
ベルトを緩めながら、「ワサビが全〜然やなあ。カンベンしてくれっちゅうくらい効かせてや」と注文をつける。
結局は二人合わせて60コで終わってしまった。寿司以外に生ビールの大6杯にお銚子を10本も呑っていたのだから無理もない話か。
そして再びこの店に行ったとき、大きなワサビのオニギリがドーンと目の前のカウンターに乗った。
「ヒゲのオッチャン、これならどうだ!」
といわんばかりの板さんのニヤッとした顔に、またやったろか、とファイトを燃やした。
今、その寿司屋はなくなってしまった。
■マウンテンドーム建設当時にもオレたち二人はそれ以上のことをやっていた。初めて見つけた中華屋で、それも昼間から「生ビール大2つに味噌ラーメン大2つ。餃子大5つにどんぶり飯2―つ!」。
出てきた味噌ラーメンの大きなドンブリと旨さに大感激(現在、マウンテンドーム名物となっている)。続いて15コ入りの餃子が二皿出てきた。しばらくしてまた二皿出てきた。
「間違えとんとちゃうか?」
「サービスかも」
二人とも好きだからいいようなものの、「今度が最後で〜す」と、また一皿出てきたではないか。なんと合計75コである。しかし、出された以上は全〜部やっつけるのがオレたちの流儀。だが、かなりのよいしょがいった。整理すると味噌ラーメンの大が2つにドンブリ飯が2つ。その上、生ビールの大を6杯。そして餃子を75コもたいらげている。うつむくと喉から逆流しそうで、二人とも上を向いて帰った。以来その店の語り草となり、店主と仲良くなった。その店主もまた偏屈のヒゲおやじだった。
そしてこの中華やも今はなくなってしまった。オレたち2人がが通い出すと店がつぶれるんか?
この親友勝君は当時、地元の大手ホームセンターの店長をやっていた。オレと同い歳で、かなり古いが「時代劇俳優、近衛十四郎の落とし子で松方弘樹と腹違いの兄弟」とオレが冗談をいうと、誰もがマジで信じてしまうほどのニヒルな二枚目だった。彼はオレが困った時には、月光仮面や鞍馬天狗のように前ぶれもなく突然現れてくれる。サウスポーだが結構器用で色々と手作りするクセがある。
毛の生えた中国産の奇妙な猪ジャーキーとか、イモムシの入った不気味な酒とか、チカン撃退用のスカンク顔負けのガス銃とか、はたまた牛の生首とか、色々と得体の知れない物をどこからともなく調達してくる得体の知れない特技の持ち主で、オレと同様、森進一の『襟裳岬』の大フアンでもある。
京都育ちの嫁さんとミミちゃんというウサギと3人暮しの汚れのない夫婦だが、奥さんのケイコちゃんは、オレたち二人が好む「こってり」「臭い」「汚い」の3Kが大嫌いで、特にニンニクの臭いがする店を目の仇のように毛嫌いする。
「あなたたち二人が、そんなもん喜んで食べるやなんて、いやーん。うち信じられへ〜ん」という永遠の処女である。
自分自身は一口も食べないくせに、ラッキョ作りが得意で、毎年オレに作ってくれる。こんなうまいもん、抑えつけても一度、ケイコに食わせてみたい。
「あんたたち二人は、例え世の中がどうなろうとも、何を食べてでも生きて行ける人種よ」と、いつも彼女は嫌味を込めてこう褒めてくれる。
勝君とは、現在のブログにときどき書き込みしてくれているハンドル名「エコひいきのエコさん」のことである。

あれは15年ほど前のゴールデンウィークのことだった。
大阪の枚方市から徳島の勝浦の婆ちゃんチを経て、四国山脈の内の大小五つの山を越え、疲れ果てた新婚さんがやって来た。白い高級車はドロドロ。地図を頼りの山越え谷越えの近道作戦が裏目に出たという。
その夜のレスランバーにおいて、頼みもしないのに突然、ダンナがギターとウクレレで独りライブをやり始めた。周囲に邪魔になることもない。かといって聞き惚れるほどでもない。人柄は良さそうだし、しばらく好きにさせとこう、で泳がしていた。
そのうち、ふと馴れ初めを聞いてみたら、
「一目惚れした彼女の家の前で自作の唄をギター抱えて、毎晩、歌い続けてたらOKくれはりましたんや」
ようやるわー。それ、ストーカーいうやつやんけー。近所迷惑になって困るから仕方なくOKしてくれたんとちゃうかぁ?
「実はその通りやねん。よかったらその唄を歌いまひょかぁ?」
リクエストもしないのに、どうしてもやるというならやってみろ。やれー、やれー、下手でもええからやってみー!
ところがどっこい、とんでもハップン驚いた。いやしくも元プロ歌手のオレが酒もタバコも忘れて聴き惚れるほど、ハートで、魂で歌っているではないか。ワイワイ、ガヤガヤのホールも静まり返っている。ふざけ半分、冷やかし半分で煽ったオレは素直にゴメン! と反省した。最後には「このCDの発売は?」と、マジで後援会々長に名乗りを上げていた。
彼は、そん所そこらのポット出の歌手では足元にも及ばない本物の枚方ソウルシンガーだったのである。熱唱するダンナの横でリズムに合わせ首を振っている奥さんに、オレは思わずマラカスを握らせた。
以来、「シンちゃん、ともりん、おやっさん」と呼び合う間柄になり、今や、マウンテンドーム・ロイヤルカスタマーとなっている。
オレが命名したこの偉大な名曲『トモリンに捧げるバラード』は初対面のお客さんからもアンコールがくるほどの名物になっている。
待望の長男が誕生した時、
「ボク、枚方でねずみ男と呼ばれてますねん。似てまっしゃろ? だから息子は嫁さんに似てくれたらと思ってますねん」
そういえば小さな顔に大きなメガネと大きな鼻。二本の前歯が特に目立って大きい。オレも極端に手足が短いという似たようなコンプレを持っているから、彼の気持ちがよ〜くわかる。
彼の名はシンちゃん。シンちゃんはショベルカーの手を作っている会社の専務さんで、コンピューターソフト会社の社長も兼務している。そんなこんなで、うちのITと音楽関係のほとんどは彼が陰からサポートしてくれている。実費に換算したら・・・なんてヤボなこというとツバキを飛ばして怒られるだろう。
ところで今週末は結婚15周年のはず。四国の山中より、心からおめでとう。

本日の新聞に「本四乗り継ぎ2,500円決定」が載った。大阪から瀬戸大橋を経由して高知まで上限2,500円で行けることになった。但し、「ETC搭載の乗用車で休日に限る」とある。安くなるならなんでも歓迎だ。
高速道路といえばこの春、シンちゃんの運転で、枚方から阪神高速→湾岸線で岸和田のタケちゃんチまで行った。そのとき、目の前の水道屋の軽トラが三車線を、まるでレースカーみたいにジグサグに縫って走って行った。はるか前方に消えたかと思うとまた目の前に現れる。約1時間半の道中で何度現れて消えただろうか。ところがなんてことはない。岸和田の出口でその軽トラがオレたちの前にいたから面白い。「こんなに狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」や。
なんであんなに先を争ってビュンビュン飛ばすのか。どうして先行車のケツにくっつくのか。万に一つ、前の車が急ブレーキを踏んだら、なんて考えないのだろうか。ところが「ブレーキは踏まないもの、として走るのが関西人の常識」らしい。あー怖―。
うちの女将も宝塚生まれの宝塚育ち。だから高速を走らせたら別人になるから怖い。しかし、オフロード、いや、崩れかけの崖っ淵なんかを4WDで走らせたらオレのほうがはるかに怖いらしい。

先週、筑紫哲也氏の訃報ニュースで驚いた。
筑紫さんといえば、石原裕次郎、長嶋茂雄らとともに、われら団塊世代の憧れのスターの一人である。オレより一回り上の73歳だったそうだ。
その夜のうちにメールでお悔やみを送ったわけは、白ヒゲが書いた「ああ、日本人」という原稿を、2000年の春の「第7回週刊金曜日ルポルタージュ大賞異色特別賞」に強く押してくれた審査員の一人だったからである。
―「山間でペンションを営む筆者が、そこにやってくる『日本人』のひどさを活写しているのだが、文章は柄が悪く、粗っぽい。これほど乱暴な筆使いは前代未聞だろう。それが『日本人』の現在と見事に照応しているのが魅力だ。蜘蛛が糸を張りめぐらして獲物を待ちかまえているかのような意地悪な視線の持ち主だが、『獲物』がいくらでもいるのもいまの日本である。その点で説得力は抜群だ」―
これは白ヒゲ原稿にくれた筑紫さんの選評であり、故人との接点といえるものはわずかこれだけのものであるが白ヒゲの生涯で数少ない自慢話の一つなのである。

草刈り助っ人軍団と同じ先週末、10月1日にゴールインした新婚ホヤホヤのマサシ&愛ちゃんも「婚姻届けの保証人になってほしい」と、やってきた。まことに光栄至極なことである。
新婦の愛ちゃんは7年間も中国で漢方の勉強をして中医師の資格を取り、現在、岡山で漢方の医療活動をしている。その彼女が腰に針と吸引治療をほどこしてくれた。もちろんボランティアである。おかげで昨日から、いつも以上に仕事がはかどっている。愛先生、ありがとう。
先週末は盆と正月が一度にきたようなありがたい日だった。